乳がん告知はスタートライン

切ってしまえば終わりだと軽く考えていた乳がん。乳がん告知はスタートラインにたったにすぎない。その後再発、再々発。ただいまホルモン療法継続中。治療のこと、お金のこと、気の持ち方で大きく変われることなど、私なりに体験したことを書いていくブログです。

乳がんの告知の直後に思ったことは? 「死ねる切符が手に入った」だった

もともと深く考えないタイプである。

乳がん告知をされても、「えっ?」とか「死ぬの?」などは思わなかった。

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入院が決まったらまず交付手続きを

 治療費をどうするか

 一番に頭をよぎったのは「治療費をどうするか」であった。

あとでわかることだが、「がんはすぐには死なない」、突然の事故などと違って。

治療費や検診代、薬代などはずっと続くのである。

私はガン保険には入っていなかった。

 

 私の周りでも、以前は入院前に借金をして入院費を工面してから、入院した友人が何人かいた。

あとで高額医療費の請求で戻ってはくるのであるが、とりあえず立て替えなければならなかった。 

限度額適用認定証とは? 入院費はクリア

私も、お金をつくらなければと考えた。

ところが、「限度額適用認定」というのがあることを知った。先に限度額適用認定証を交付してもらい、病院に提出していれば、限度額に達した時点から支払いがなくなる。つまり、9万円弱(私の場合)を準備していれば、退院はできることになる。

とりあえず、入院費はなんとかクリア。

実はこの「限度額適用認定証」は、以前は入院だけだったのが、私が入院する1か月前に通院にでも適用されることになった。これは本当にありがたかった。

 

仕事はどうする? 「乳がん」と言ってしまうと……

2番目に思ったのは、仕事はどうする。

仕事は続けていかなければならない個人事業主である。

治療費や検診代、薬代などはずっと続くのである。

仕事がなくなれば、治療費すら払えない。

 

今回は1週間だということで、周りには伏せて入院することにした。

やはり「乳がん」と言ってしまうと、仕事に影響がでる。

いまは、「がんでも治療しながら働けます」とはいうものの、取引先は個人事業主にそこまでやさしくはない。 

とりあえず乳がんの手術をすることが先決

とりあえず手術をすることが先決。

ステージⅡb(浸潤性)。まだ手術ができるからだ。

あとのことはそれから。

なるべく早い日にちに手術日を決めてもらい、入院した。

私の1回目の乳がん手術は2012年5月。この段階では、まだ「乳房再建術」は保険適用ではなかった。だから、個人事業主の仲間で「全摘→乳房再建術」を受けたものはいなかった。

 

私も当然、経済的な問題から標準治療を希望したため、全摘して再建術ではなく、乳房を残す温存術だった。

当時は、先生の方針でステージが高くない乳がんの場合は温存術が主流だった。

がん保険に入っていなかった私にはとても再建術など受けることはできなかったのである。

この時に全摘にしておけば、ひょっとして再発、再々発は免れたのかも知れない。

 

それから14か月後の2013年7月に「乳房再建術」は保険適用となった。 

乳がんと告知されてからのモチベーション

「死ねる切符が手に入った」。

これはあまり理解してもらえない話ではあるが、退職金も厚生年金もない個人事業主で、しかもこれといった病気がない私たちの間では「死んだらどうする」ではなく、「死ななかったらどうする問題」を抱えていた。

バブルがはじけて以降、貯金どころか借金のみを抱えての自転車操業をしている私たち(私の周り)にとっては、「働けなくなって、それでも長生きしてしまったらどうやって生活をしていこう」が一番の悩みであった。

 

乳がん」と告知されたときに正直ほっとしたのを覚えている。

何故ならば、当時56歳の私は、80や90になった先のことまでを心配していたわけだが、そんな先のことまで心配しなくていいからだ。まず10年をどうするかに変わったからだ。

だからといって、それ以降のお金の問題がチャラになるわけでもないが、「とりあえず目の前のことを」と気持ちを切り替えることができた。 

「この入院生活を楽しもう」

そして入院の日が来た。

「この入院生活を楽しもう」

ちょっと人より変わった思考を持っているのは十分に自覚している。

 

私はホテルにでも行く気分で入院した。

術前は6人部屋。入って驚いた。カーテンが閉め切られ、みなヒソヒソと声をひそめて話している。

「えっ、ここは通夜の控室?」

がん」ってこうなの? 私の考え方が不謹慎なのか?

 

手術前に私の親族が見舞いにきた。これまたみんな神妙である。

みんなに合わせて、私も落ち込んだふりをしないといけないのか?

世間では、がん患者をこういうふうに可哀そうな人として見るのか?

 

この病院は差額ベッド代は発生せずに、治療に必要ということで、術後は個室に入れてもらえる。

もう周りを気にせずに、6人部屋のあの重い空気を感じなくても済む。

 

1週間の入院であったが、先生や看護師さんから「なんでそんなに明るいの?」と不思議がられた。

先生に至っては「僕は2000人の乳がん患者を見てきたけど、あなたのような人はいないですよ」と。

私にとってはこの上ない誉め言葉であった。

 

私は思う。もちろん、みんなそれぞれステージによってもちがうし、乳がんのタイプも違う。私の場合は、ステージⅡb(浸潤性)で、顔つきのいい乳がんだそうだ。

だから、「明るい乳がん患者」なんて言えるんだと言われるかもしれない。

ただ、

まだステージⅡb(aかbかによって治療が大きく変わってくるのだが)と捉えるか、

もうステージⅡbだと思ってしまうかではないかと思う。

私がもしステージがもう少し上であったとしても、私の考え方は変わらなかったと思う。

 

私は、非日常体験にワクワクする。

この乳がんも私にしたらワクワクな体験の一コマである。

自らを「明るい乳がん患者」といい、一人ピンクリボン運動をしている。

 

いつもお読みいただきありがとうございます。

 

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