乳がん告知はスタートライン

切ってしまえば終わりだと軽く考えていた乳がん。乳がん告知はスタートラインにたったにすぎない。その後再発、再々発。ただいまホルモン療法継続中。治療のこと、お金のこと、気の持ち方で大きく変われることなど、私なりに体験したことを書いていくブログです。

乳がんの担当医転院。ついて行くか?残るか?決断を迫られたら!

6年で乳がんの手術を3回経験した。

3か月ごとに検診に行き、3か月分のホルモン剤を処方してもらっている。

6年間お世話になった担当医A先生が病院を辞めて違う病院に勤務することになった。

 

先生について行くか、残るかの決断を迫られた。 あなたなら、どうしますか?

 

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検診の時に、病院を辞めて違う病院に勤務することを告げられた

6年間、お世話になった先生である。

どうしようかと悩んだ。その場で判断できないので、一応、現病院で3か月後の予約は入れてもらった。

 

友人から「担当医が転勤になったから、県外なんだけど、転院先の病院に通っていたら、今度元の病院に戻られたので良かった」という話を先日聞いた。

2年前の入院中にお世話になった看護師さんもA先生の乳がん患者さんのようだ。

「この先にもしもA先生がよその病院へ変わられたら、私らはついていかなきゃならない。近くの病院ならいいけど」と言っていたのも思い出した。

その時は私自身がその当事者になるとは思ってもおらず、みんな担当医についていくのだと思って話を聞いていた。

 

年齢的にそろそろ定年であろうA先生に、「私の最後までの担当医」でいてもらうことはありえない。いずれ別の先生に引き継がれるであろうことは想像していたが、まさか、別の病院へ行かれるとは思ってもいなかった。

 

現病院に残ることを決めた3つの理由は?

  1. 転勤先の病院は私立の病院である
  2. 年齢的に次の再発の時、執刀医はA先生ではない
  3. 他の病気やケガの治療は現病院で治療をしてもらいたい

 

1.転勤先の病院は私立の病院である

現病院は「医療生活協同組合」の病院であるため、入院時も差額ベッド代などが発生しない。がん保険に入っておらず、生活が安定していない私にとってはありがたい病院である。

先生の転勤先の病院は私立の総合病院であるため、再発を考えたときの治療費の心配が一番であった。


2.年齢的に次の再発の時、執刀医はA先生ではない

次の再発を考えたときに、執刀医はA先生ではない。

それならば、現病院で新しい先生との関係を築いていったほうがいいのではないかと思った。

 

3.他の病気やケガの場合は現病院での治療を希望する

今後、出てくるであろう病気やケガ、介護などを考えたときには、やはり現病院にかかっているほうがいい。

 

3か月後、担当医が変わって思ったことは?

3か月後、A先生について行かなかった私の検診の日が来た。

診察前の血液検査など、いままでと違うのでちょっと戸惑った。(いままでは1か所で済んでいた)

まず、血液検査をするために採血の部屋に行く。7~8人が横に並んで採血だけをしてもらう部屋だ。

次にCT検査の部屋の前で待たされた。名前を呼ばれ、診察室のようなところに通された。造影剤を入れるために少し太めの針を刺してもらうのだ。個室での注射は初めてだった。

カルテを見て私がA先生の患者だった知ると「ついて行かなかったのですね」と言われた。

「私の血管に針を刺すのは難しいですよ」と言ったことから、話が弾み、いろんな話を聞くことができた。現病院のほうを選んだご褒美かのように短い時間にいろいろと話をしてもらえた。

抗がん剤の影響で血管が固くなったり、細くなったり、血管が無くなったりすること。

血管が固くなったり、細くなったりは自覚症状はないものの、毎回の血液検査の時に看護師さんが採血で苦労されるのでわかっている。

血管が無くなるというのは自覚があった。うでに縦に15センチくらいのシワ(陥没)ができたのだ。何だろうと思って質問したら「血管がなくなったから」と言われたことがあった。

アルコールに少しだけアレルギーがあることも初めて知った。

「お酒を飲んだらすぐに赤くなるでしょ? 今はいいけど、歳をとってくると治療にも影響が出ることがありますから気を付けてください」と言われた。

採血の時に毎回「アルコールは大丈夫ですか?」と聞かれていたが、その後は「アルコールにアレルギーがちょっとあります」と言うことにした。消毒するときにノンアルコールのものを使ってもらえる。

それぞれの担当の方の話を聞けるのもいいなと思った。

その話をしてくださったのが、医師だったのか看護師だったのかは不明である。

医師は白衣、看護師はナースキャップというユニホームではなくなっているからだ。

 

若い医師や看護師の新しいやり方を取り入れてもらうのも良かったのかも知れないとも思った。

A先生は自分の患者に対しては、すべて1人で動いてくださっていたから。

 

乳がんの担当医、C先生の診察室に呼ばれる

今までA先生の診察室だった部屋である。番号を呼ばれてドアを開けた。

いままでは、少し太めのどっしりとしたA先生が座っていた。

その椅子に座っていたのは、先生に成りたてホヤホヤ?と思うほどの若い女性の先生だった。

ほっそりした若いC先生を見て、少し不安になった。「やはり、A先生について行くべきだったか!」

私のカルテを見ているC先生を見て、「瞬時に6年間の流れがわかるわけはないよね。やはり、A先生のところに行けばよかったか?」と思った。

カルテをさっと見たC先生は、「わかりました。大変でしたね。乳がんを3度も!あぁ、リンパ節郭清もされたんですね。わかりました。いっしょにやっていきましょうね。」と言われた。

男性医師のA先生にはない、女性ならではの言葉を掛けてもらった。

いっしょに」という言葉で、今からいっしょにやっていけばいいのだと思うことができた。

触診の後、血液検査の結果などを説明してもらったが、なんかいつもと違う気がした。

若い女医さんに面食らい、何が違うのかはその時にはわからなかった。

 

A先生の診察はいままでどうだったのか?

勤務医でありながら、「自分の患者は限りなく自分の手で」という町医者的な先生だったのだと思う。

手術も自分で執刀し、入院中のリハビリも消灯後に部屋まで駆け付けてくださり、リハビリをしてもらった。おかげで、術後腕が上がらなくなることもなく生活できている。

  • エコー検査も診察室に持ち込んであり、毎回診察室で検査をしてもらっていた。
  • 触診にも時間を掛けてもらっていた。
  • 血液検査の結果説明も何年も前に遡り、今回の結果との比較説明をしてもらい、時系列データのプリントをもらっていた。
  • CT画像もモニターに映し出し、胸だけではない他の臓器にも異常がないとの説明もしてもらっていた。

何か違うと思ったのは、乳がんの担当医C先生にはそれらがなかったのだ。

  • 座ったままでの触診
  • 血液検査も今回のみの結果のデータをプリントしたものを渡される
  • CT検査、エコー検査の結果も、口頭で「大丈夫です」のみだった

 

A先生が転院された後、私の判断は違ったかなと思った理由は

先生が転院されて2度目の検診があった。

待ち時間に掲示板を見たら、新しい乳がんの担当医C先生の休診の貼り紙があった。

また先生が変わるのだ。やはりA先生についていくべきだったか。

抗がん剤治療のときにお世話になった看護師さんが声をかけてくれた。

「何か心配なことはないですか?」

抗がん剤治療前にも別室に呼ばれ、「何か心配なことはないですか?」と聞いてくれた看護師さんだった。

「A先生についていくべきだったかと思っている。なんか病院の雰囲気が変わった」と私は言った。

担当医が変わってわかったことは、これが普通だったのである。

いままでA先生の患者が、いかにVIP待遇を受けていたのかということがわかったことを看護師さんに言った。

逆に言えば、A先生の独断で動いていたわけで、チーム医療になっていなかったということである。

いま私の受けている検査は、各部署でプロ意識を持って検査し判断されたデータが担当医のところに届き、医師としての判断をされているのだと思った。

決して手抜きをされているわけではないとも思った。

 

A先生の転院の理由は?独自の治療ができなくなったから

最後にA先生の診察を受けたときに、「病院に約束を守ってもらえない。そういう約束だったのに、ここではそれができなくなったから」と言われた。

憶測ではあるが、手術の執刀や診察室でのエコー検査などのことだと思った。

6年間の間に病院が新しく建て替わった。そのあたりから、少し病院の方針が変わっていくのを私も感じていた。

A先生は、自分の患者は、自分の目で見て、自分でやりたいのだと思う。

だから、手術も、その後の病理組織のサンプル作りもA先生がしていた。

「今回から、高いけどこの薬を使うことになったから。本当は…」など、だんだん先生の独断が効かなくなっていたのは感じていた。

 

A先生は、患者の目から見て、決してドクターの権限を振りかざして周りを従わすという先生ではかった。
むしろ、プライベートな時間まで使って、「患者のために」と動いてくださったのを6年間の付き合いでよくわかっている。

A先生は昼食はパンをかじりながら、「患者にがんがみつかった」となれば、そのまま検査にも付き合い、「治療をしないという患者の家族を説得する」と言って休日返上でやってくださった。

あれだけお世話になっておきながら、それでも私は現病院に残った。

 

病院にも「医師の働き方改革」が始まったのだと思う。

昔ならそれでよかった、それが通ったのかも知れない。

ただ、「時代だから…」の一言では言えないが、現病院のやり方と合わなくなったのだと思う。私もA先生と同世代で、「寝ないでも頑張る」時代の昭和の人間だからよくわかる。

いまは医療も「分業制」なのだと思う。

A先生は、自分のやりたいことのできる病院に移られたのだ。

本当にお世話になったA先生について行かなかった私は、その後A先生にお会いすることもなく、最後の診察でお礼の言葉も言わないままになってしまった。

 

医師の指示ではなく、それぞれの立場でのアドバイスがもらえる

ラジエーションハウス~放射線科の診断レポート~」というドラマをちょうどやっていて、それを毎週見ていた。

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放射線技師のドラマだった。いままで医師を中心のドラマは見てきたが、「技師」を取り巻くドラマだった。新鮮だった。

私は、医師の指示で動くのが当たり前、もっと言うと医師のお手伝いぐらいに思っていたところがあった。

私はこのドラマをみて、医師免許はなくても、それぞれの立場で一生懸命患者のために動いている技師さんたちに感動した。

 

そうなんだ。私の治療もそうなのだ。

医師の指示に従うだけではない。それぞれの立場で「患者の治療」にプロ意識を持って携わってくださっているのだと。

私は63歳である。古い考えだとは思うが、医師からの指示で動くものだと思っていた。

ところが看護師さんは看護師の立場で行動される。

抗がん剤の治療前に「医師に対して何か言っておきたいことはありますか?不安なことは?」と聞かれた。

抗がん剤治療が始まる前にA先生に「指先を冷やすとしびれが軽減されると聞いたんですが」と質問してみたが、A先生は「あまり効果はないと思う」と言われた。

しかし、治療が始まると看護師さんが「抗がん剤の副作用軽減のために保冷剤入りの手袋してみますか?」と言ってくれた。(私は看護師が医師の指示もないのに勝手にやっていいのかとその時は思っていた)

放射線科に行けば、単に流れ作業ではなく、私のカルテを見ながら、私へのいろいろなアドバイスをしてくださった。

薬をもらいに行けば、ただ薬を渡されるだけではなく、薬剤師さんから「この前は湿疹がひどかったようですが、その後どうですか?抗がん剤の治療中は湿疹が出る方が多いですよ」と言われた。

湿疹が出たことすら忘れていた私は、薬剤師さんも過去のデータを見ながらアドバイスをくださるのだと思った。

それぞれが、それぞれの立場で、私の治療に携わってくれているのだなと思った。

 

まとめ

A先生がワンストップで診てくださっていたからこそ見つけてもらえたと思っている2度の再発。

私が現病院に残ったのが正しかったかどうかは、正直、まだわからない。

ただ、私は残ると決めたのだ。

「A医師との信頼関係」だけでこの6年間治療を続けてきた。

今後は「病院との信頼関係」になる。チームでの治療になる。

現病院のやり方に慣れるしかないのだ。

ただ、いいところも少しづつ見えてきた。

「自分はどうしたいのか、どうして欲しいのか。何を選ぶのか」を明確にして治療を続けていこうと思う。

 

何故ならば、私は一人ピンクリボン運動をする「明るい乳がん患者」なのだから!

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