私は6年間で3度乳がんになった。まだ局内再発にとどまっており遠隔転移はしていない。
ただ、いずれ再発・転移をするのだろうなとは思っている。
それまでの間、治療費のため、老後のために仕事を続けている。
- 乳がん6年で3回。克服できる病気なのか?
- 乳がんは克服できない病気なのか?
- 乳がんサバイバー「がんを克服する」はやめてみよう
- 明るく「乳がんサバイバー」であることを発信していこう
- QOL。ただ生きることでなく、よく生きることを選ぼう
- 終わりに
乳がん6年で3回。克服できる病気なのか?
私の場合は、初診で左側部にステージⅡb、右側部にステージⅠの乳がんと診断された。
1年8か月後に、左腋窩リンパ節に転移。
3年9か月後に、左側部に局内再発。
初めて乳がんと診断された時は、切ってしまえばそれで完治するのだと思っていた。
私のブログタイトル「乳がん告知はスタートライン」。
これは息子から言われた一言だった。「母さん、始まったばかりだから!」
その後、息子の言ったとおり、2度の告知を受けた。
私はこれで「克服できた」とは思っていない。また、いつかはどこかに転移すると思っている。
でも、まったく悲壮感はない。不安もない。あるとすれば、「がん保険」に入っていなかった私は、次回の治療費のために、元気なうちに働いておかなければということぐらいだ。
乳がんは克服できない病気なのか?
「乳がんを克服」という願いを否定するわけではない。
ただ、がんは何年経っても再発する。特に乳がんなどは、長い年月を経てから再発をするがんの代表とも言われている。
いま乳がんが再発していないから「乳がんを克服した」と言うことにはならないと思う。
「克服した」と思っている人が再発した時のひどい落ち込みを私は見ている。
「また再発をする」と過度な不安を持って生活するのも体と心にストレスを与えてしまうと思っている。
乳がんサバイバー「がんを克服する」はやめてみよう
「『がんサバイバー』とは、がんの診断を受けたすべての人」と定義される。
「『がんサバイバー』とは、上乗せの命を生きること、新しい命が付け加えられる、命の新しい段階であり、今を感謝して生きることだ」とラジオで聞いたことがある。
私は、「抗がん剤治療」の時は戦った。気分的にも落ち込まないように、「丸坊主」にしてから抗がん剤に臨んだ。それは、体力・気力を消耗する抗がん剤と戦ったのだ。
抗がん剤は次の再発・転移を遅らせるための治療だと私は思っている。
私の年齢ならば、まだ「抗がん剤」に耐えられると考えて治療を決断した。
「乳がん」と戦ったわけではない。
明るく「乳がんサバイバー」であることを発信していこう
乳がんを告知されたときに「あっ、私の番がやってきたんだ」と思った。
ただ、「乳がん」を告知された友人たちのほとんどは
「なんで私が?」「何も悪いことはしてきていないのに!」と言う。
乳がん=罰が当たった
乳がんになることはそんなに罪なのか?
友人は乳がんになったことを受け入れず、どうしてなったかという過去のことばかりで頭がいっぱいになっていた。
私はなったものはしょうがない。さて、どうしていくかと未来のことを考えた。
あれから8年が経った。私はその間2回の再発。友人は再発もなく過ごしている。
ただ、友人は変わった。「乳がんサバイバー」であることを自ら発信し、ピンクリボン運動にも積極的に関わっている。
だから、もし友人が乳がんを再発しても、もう大丈夫だと私は思っている。
QOL。ただ生きることでなく、よく生きることを選ぼう
QOL(クオリティ オブ ライフ)
誰もががんになる時代。
「なによりも大切にすべきは、ただ生きることでなく、よく生きることである」
私は、治療の方針を決めるときに、一番にこれを考えた。
私の場合は、まず仕事が続けられることであった。
仕事を続けるには、どの治療がベストか。
おかげさまで、最後の再発から2年が経った。いまのところ転移・再発はみられず、「よく生きる」ことができていると思う。
周りの人は3度乳がんを経験し、まだ働いている63歳の私を「可哀そうだ」と見ている人もいる。
私は「可哀そうな人」ではない。
むしろ、乳がんになってから後は、毎日ワクワクする日々を送ることができている。
それは、私が「なによりも大切にすべきは、ただ生きることでなく、よく生きること」を選んだからだと思っている。
終わりに
「乳がんになった」というと、私を見る周りの目が変わる。
最初に乳がん告知をされたのは、8年前だった。
可哀そうな人と見られる。
病人らしくしておかなければならない。
必要以上に気を使われる。
8年経ったいま、2人に1人が乳がんになると言われる時代になった。
「乳がんサバイバー」であることをカミングアウトする人も増えてきた。
「乳がんは克服できない」。毎日を泣いて暮らすか、楽しく暮らすか。
私は楽しく暮らすほうを選んだ。
3度の入院で、「泣いてばかりいる病室」と「笑いが絶えない病室」、まったく正反対の部屋で過ごす経験をした。
次はこの時経験したことを書いてみたい。
何故ならば、私は一人ピンクリボン運動をする「明るい乳がん患者」なのだから!
いつもお読みいただきありがとうございます。
ポチっと押していただけると励みになります。